危機の北東アジア、沖縄·韓国反戦平和連帯の道を問う
先月3月6日、プラットフォームCで沖縄から来た平和活動家神谷美由希氏との懇談会が開かれた。
ソウルに来た沖縄の平和活動家神谷美由希氏
30代前半の神谷美由希氏は沖縄那覇出身で、4年前から社会運動に関心を持ち、沖縄で多様な活動を繰り広げている。彼女が社会運動に関心を持つようになったきっかけは、大学時代、米国での長期語学研修だった。初めて経験した異国の雰囲気や外国(韓国)の友達に出会ったことなどにより、彼女は社会運動に興味を持つようになったという。以後、現代史と社会運動により多くの関心を持つようになり、2018年から「オール沖縄(All Okinawa)」が支持する野党連合候補と共に知事、市長、その他地方選挙運動に参加してきた。また2022年からは日本政府が「台湾有事事態」を助長し沖縄が戦争に巻き込まれる可能性が高くなり、台湾市民社会と共にする「対話プロジェクト」を進行している。2023年2月に開かれたシンポジウムでは800人余りの人達が参加するなど非常に成功的だったという。また、同月26日には那覇市内で反戦を訴える集会が開かれた。目標値だった1千人をはるかに越える1千600人が参加したこの集会で、彼女は宣言文を朗読した。人々は、スローガンを叫びながら街を行進した。
先月3月6日、ソウル望遠洞に位置したプラットフォームCで沖縄から来た青年活動家たちと韓国の青年たちの間に懇談会が開かれた。約20人が参加した今回の懇談会は、最近の韓国でのサード配備反対闘争、そしてベトナム戦争時期の日本社会運動の反戦平和運動事例に対する短い発題から始まった。その後、神谷由希氏から最近、日本政府の南西諸島軍備増強問題や沖縄での反戦平和運動について話を聞くことになった。以下は神谷由希氏の発題を要約したものである。
沖縄の歴史と今
広く知られているように、沖縄は日本の本土とは別の歴 史と伝統を持つ社会を構成してきた。近代以前は「琉球王国」(1429年~1879年)という政治体制が存在し、明・清や朝鮮と平和的な関係を結んで貿易を行ってきた。
江戸時代の1609年、九州南部を支配していた薩摩藩が琉球に侵攻し、琉球王国は主権一切を奪われた。1872年、日本帝国の属領に編入され、7年後に完全に併合され450年の歴史を終える。20世紀を揺るがした太平洋戦争の後半期だった1945年3月末から6月末まで、米国と日本は沖縄で戦争を繰り広げたが、それは日本軍部が本土での陸戦を回避し、時間を稼ぐ目的で強要した戦闘だった。このため、当時沖縄住民の4分の1に当たる20万人の民間人が戦闘過程で、あるいは日本軍の虐殺と集団自殺を強要する中で犠牲になった。その後1952年、サンフランシスコ講和条約で日本が主権を取り戻した際にも沖縄は捨てられ、本土独立後も沖縄では米軍統治が続いた。このため沖縄住民はサンフランシスコ講和条約が発効した「4月28日」を「屈辱の日」と呼ぶ。
米軍政時代、沖縄民衆の暮らしは深刻な暴力にさらされた。米軍基地が島のあちこちに分布している状況で、子供と女性に対する米軍の暴力、騒音公害などが発生し、人々の日常を破壊した。当時、沖縄では人権が制度的に保障されにくく、農民たちは米軍の銃剣とブルドーザーの前に農地まで奪われた。このため、沖縄では長い間、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる広範な抵抗運動が繰り広げられた。
当時、米軍は永久的に基地を使用するために「軍用地料一括納付方針」を立て土地を安く購入しようとし、これに対する住 民の反発も高まった。その過程でまず沖縄を日本の国家内に復帰させることが重要だと判断し、「復帰運動」が起きた。米軍政よりは日本の平和憲法の下で人権と民主主義を制度的に守護できる余地が設けられると考えたからだ。しかし、1972年に米国が沖縄を日本に返還した後も、沖縄の米軍基地は消えることなく、むしろ増えた。
南西諸島での軍備増強
南西諸島は日本列島最南端の太平洋東シナ海の九州南側から台湾東側まで並んでいる郡道を指す。 馬毛島から与那国島まで200余りの島々が約1200kmにわたって続いており、4,647平方キロメートルの土地に約160万人の人々が住んでいる。
しかし、神谷美由希氏は現在、南西諸島が非常に危険な状態に差し掛かっていると言う。日本政府と本土の主流メディアは、台湾有事(戦争)が間もなく起こるだろうと危機感を助長してきた。また、日本政府は数年前から南西諸島の要塞化を準備してきた。2010年、内閣府傘下の安全保障諮問会議は集団的自衛権に対する憲法(第2項9条)解釈を見直し、日本列島の安保脅威に対応して海上自衛隊の戦略配置を見直す防衛戦略修正案をまとめた。修正案は1976年に制定された自衛隊の均衡配置防衛構想を廃止し、沖縄と南西諸島に海上自衛隊を集中配備すると明らかにしている。これに対し主要メディアも「対中国強硬対応論」を受け入れる方向へ向かっている。
神谷美由希氏は、南西諸島での軍備増強は米国の対中抑止戦略の一環として行われていることを強調する。米国の新しいインド·太平 洋戦略の中で北東アジアに対する最優先目標はいわゆる「第1列島線」の外に中国が進出できないよう封鎖することにあるためだ。よって、米国政府は日本の自衛隊と宮古島を活用しようとしている。宮古島は沖縄那覇市と台湾台北市の間に位置しているが、ここを戦略的要衝地とみなし、この島を舞台に局地戦と離島奪還作戦を維持するという軍事戦略を立てている。
南西諸島に対する自衛隊配置および軍備増強計画は、非常に具体的な水準であることが確認されている。まず2016年3月、与那国島にすでに陸上自衛隊駐屯基地を開設し、約160人の兵力を配置した。2019-20年には宮古島と石垣島、奄美大島にもそれぞれ600~800人余りのミサイル部隊を配置した。今年もこのような傾向は続く予定である。日本の右翼メディア「産経新聞」の2022年12月4日の報道によると、防衛省は那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団を「師団に準ずる防衛集団」に増強する計画だ。
南西諸島の一番北に位置する馬毛島も軍備増強の劇的な変化を示す島の一つだ。九州の南西に位置するこの島はソウル汝矣島の3倍ほどの大きさの無人島だった。数百年間牧場として利用されてきた同島の軍事基地化は、米軍の積極的な要求によって実現された。10年余りにわたる紆余曲折の末、同島が160億円(1600億ウォン)で買収され、これによって今年1月から港湾と戦闘機滑走路の建設が進んでいる。米国はこの島を米海軍のための空母離着陸訓練地として活用する計画だ。
辺野古新基地反対運動
日本国内の米軍基 地面積の75%は沖縄である、つまり沖縄全体面積の20%以上を米軍が占有していることから沖縄は市民社会が主導する米軍基地反対運動の中心になっている。米軍は終戦以来1972年まで沖縄全体を統治し、1972年からは相当な土地を占有して軍事基地として活用している。このため、沖縄の民衆は50年以上も米軍基地反対運動を繰り広げている。
持続的な運動の結果、1996年4月当時の橋本龍太郎首相は米国との交渉を通じて5~7年以内に普天間基地を返還すると発表した。このため辺野古埋立地への基地移転が決まったが、沖縄住民の間では辺野古新基地も容認できないという立場が支配的だ。辺野古新基地問題は、沖縄政治の勢力図も決定付ける問題でもある。
辺野古新基地に対する沖縄県政府の立場は明確である。 ① 沖縄にはすでに基地が多すぎて住民が大きな負担を抱えている ②多くの住民が沖縄の基地建設を反対している ③自然環境が破壊される ④基地移転で普天間飛行場の危険をなくすことはできない という理由を挙げ沖縄県は住民の立場を代弁している。
沖縄市民社会と代案政治勢力は米軍基地反対の立場を中心に共同候補を挙げて選挙に対応してきており、2014年と2018年、2022年県知事選挙で、勝利した。神谷美由希活動家が参加している「オール沖縄」はこのような流れにある。しかし沖縄を除く日本の政治地形は自民党1党の長年の独占状況が続き、これは沖縄米軍基地問題の解決を難しくしている。沖縄市民社会は昨年9月から日本全域を巡回し、「沖縄南西諸島は今:ミサイル要塞化進行中」写真展を行っているが、これは沖縄の闘争が孤立しないようにするための努力の一環だ。
沖縄での活動計画と願い
神谷美由希氏は最後に、その後の活動計画と自分の望みについて率直に話しながら発表を終えた。彼女が話したことは大きく3つだった。
まず、沖縄を中心に東アジア平和連帯を構築するものの、市民が中心となる連帯で構築したいという点だ。平和学研究者のガルトゥング氏は、アセアンのように北東アジア連合を構成して東アジア共同体を作り、その中心を沖縄に置くべきだと主張したことがある。神谷美由希氏とプラットフォームCを連結してくれた羽場久美子教授も2022年、沖縄をハブとする東アジアの平和ネットワークを目指すというフォーラムを開催したことがある。沖縄が隣国と戦争なく平和に暮らしてきた歴史を誇りに思い、これを土台に今後東アジアの平和を牽引できる役割を果たしたいというのが彼女の望みだ。そのためには各国の市民が中心となって交流することが重要だと考える。2022年に続き今年もこのようなフォーラムが多く開かれるものと見られるが、国家主導ではなく市民が主導するフォーラムに活発に参加し、多くの人々に会って平和を語る過程を通じてそのような流れを作っていく計画だ。
また、彼女は戦争反対運動に積極的に参加する計画だ。沖縄でも昨年から戦争ムードが高まっている。米軍基地反対運動を続けてきた先輩世代の活動家たちがいるが、実は沖縄の青年たちや他部門の市民団体との連合が円滑ではなかったのが事実だ。しかし、 今年からは一緒に連帯しようとする努力が実を結んでいるようだ。神谷美由希氏も今回の2月26日、那覇集会のために「No more okinawa戦争-命どぅ宝」会と初めて一緒に集会を準備し宣言文を朗読した。鳩山由紀夫元首相が中心となって発足した「東アジア共同体研究所の青年の会YouFO-Young Friendship Okinawa」で今年石垣島などを訪れ、ミサイル配備に関する状況を取材し、ユーチューブに掲載するなど戦争を防ぐための活動に取り組む動きもある。また、2カ月に1度開かれる台湾との「対話プロジェクト」にも集中したいという。前回のパネルは専門家(教授、政治学者)中心だったが、次回の会合は活動家たちが主導的に共にするフォーラムになるよう準備しているという。 そして、「いつか韓国とも似たようなプロジェクトを進めてみたい」という願いを表した。
最後に米軍基地環境問題および地位協定改正運動を持続していく計画だ。日本の米軍基地環境問題を取材してきた米国の著名なジャーナリスト、アビ·マーティン(Abby Martin)は「Earth's Greatest Enemy」(2021)を通じて米軍基地の環境汚染を暴露した。沖縄米軍基地の環境汚染は非常に深刻な水準だが、問題を深化させているのは日米地位協定が全く改正されていないという事実だ。米軍は地位協定をもとに基地汚染に対する責任を回避しているだけでなく、基地内の環境調査まで許可していない。日本の市民社会は、この問題も重要な議題として引き続き取り上げていく予定だ。
神谷美由希氏との質疑応答
発表で言及された「安全保障3文書」とは何ですか?
「国家安全保障に関する文書として国家安全保障計画、国家防衛戦略、防衛力整備計画のことです。今回の文書改正で反撃能力を明示し、つまり攻撃に対抗する目的のみの武力が容認された日本が相手のミサイル発射基地を先に攻撃できるようになり、2023年から5年間でおよそ420億ウォン(43兆円)の軍事費を支出することを決定しました。」
2013年に「オスプレイ撤回」と米軍基地の県内移転中断のために沖縄のすべての市町村と県議会議長が署名した意見書を提出したとのことですが。 ここで「オスプレイ」とは何ですか?
「米国のベルヘリコプター社とボーイング·バートル(現ボーイング·ロータクラフトシステム)社が共同で開発した航空機(垂直離着陸機)です。飛行機とヘリコプターの中間形態のような物です。事故が非常に多く発生し、重大な安全問題となっています。」
馬毛島の自衛隊基地建設はいつから行われ、現在はどのような状況ですか?
「日本政府が馬毛島という無人島を所有する開発会社から約1550億ウォン(160億円)で土地を購入しました。2023年1月から4年にかけて基地を建設する予定です」
辺野古米軍基地の建設は完了しましたか? 過程をもう少し詳しく教えてください。
「2022年11月基準で13%程度進んでいます。 辺野古は少なくとも12年以内には工事が完了できません。辺野古埋立地の「大浦湾」は海底70メートルの表面がマヨネーズのように柔らかい状態で、これを固 める技術が投入されてこそ基地を建設することができます。今はこの技術が不足しており、進行が非常に遅いです。基地の工事費は日本が全額負担しなければならず、総工事費はおよそ10兆ウォン(1兆円 )近くになるものとみられます。」
沖縄近隣の南西諸島は全長約1200キロメートルで島間の距離がかなり離れていますが、米軍基地闘争などで地域ごとに観点に違いがあったり、互いに合わない部分はありませんか?
「実際に一部の離島では沖縄本島について不満があるところもありました。果たして離島住民の問題を真剣に考えているのかと疑う人もいます。そこで先月2月26日の集会では離島住民も一緒に参加する集会を作るために準備委員会で離島を訪れ説得するなど共にしようと努力しました。」
沖縄で気候運動をされたということですが、発表で沖縄発電電力の9割が火力だと聞いてびっくりしました。 再生可能エネルギー転換運動はどのように進めていますか?
「まずは再生可能エネルギーが必要だという認識を広めることが優先だと思います。そして政府にパブリックコメント(意見伝達)を入れたり、電力会社に苦情を入れる方式で住民の意思を伝えています。」
沖縄の闘争に若者の参加が少ないのが問題だということなんですけれどもこれを解決するためにどのような努力をしていますか?
「日本の若者たちは数十年間運動してきた先輩たち(70代前後)が理解し難いと思ったり、なぜそんなに怒るのかと異質感 を感じたりします。そこで今回の2月26日の集会には青年たちの参加を増やすためにスローガンに柔らかい用語を使い、集会宣伝物も色とりどりにきれいに飾るなどイメージを変えようと努力しました。これからもずっとこのように努力する予定です。」
沖縄が独立すべきだという声はありますか? あるとしたらどのように進んでいますか。それと美由希さんはこれについてどう思いますか?
「これまで沖縄の人々が建白書や県民投票で反対する結果を示しても日本政府より無視されてきたため独立を主張する人が結構います。ただ、独立を語る人々が皆それぞれで、琉球民族主義を主張する人もそうでない人もいる、つまり一つにまとまりにくい点があります。私も日本政府に失望が大きくて独立を語る人々の心は理解できますが、(私は)具体的な独立までは考えませんでした。」
日本の活動家は韓国のサード闘争について知っていますか? そして東アジア連帯のためにどんなことが必要だと思い、そのためにどんな活動をする予定なのかが知りたいです。
「いままで『サード』問題について聞いたことがありません。今日(ボリさんの発題を聞いて)たくさん知りました。東アジアで国際連帯のための大衆的基盤を築くために、まずSNSを活用することが重要だと思います。今はツイッターやウェブニュースなどでお互いを知ることができます。最近、私は台湾の人々と「対話プロジェクト」フォーラムを企画する集まりに積極的に参加しています。このフォーラムが2ヶ月おきに開かれる予定です。このような形の交流と会合を持ち、持続的に会うことが重要だと思います。」
美由希さんが社会運動を始めてから苦労も多かったと思いますが、やめたいと思う時はありませんか?
「沖縄民衆の意思が日本政府にうまく伝わらない時、がっかりすることもあります。でも私は基本的に人に会うのが好きで、それに元気をもらっています。だから選挙運動は私に楽しい過程です。とくに昨年は玉城デニー知事当選などで大きく勝利し、すごく勇気づけられました。」