2月28日、台北市のニニ八平和記念公園で行われたニニ八事件記念式で奇襲デモが発生した。大学生らは虐殺者の蒋介石の曾孫である蔣万安台北市長が「偽善的に犠牲者のための追慕式を開催している」とし、「殺人者はひざまずいて謝罪しろ!」というスローガンを叫びながら蔣市長が立っていた演壇に突進した。青年たちの叫びは警察の鎮圧ですぐ終わった。蔣市長の就任前に「ニニ八遺族会」は声明を出して「 蔣万安の2月28日の行事参加を拒否する」と明らかにした経緯がある。 毎年記 念式を主管してきた共同の団体もボイコットを宣言した。
1947年2月27日、台北市内の喫茶店近くで専売局の取締役人と市民の衝突で触発されたニニ八事件は翌日から5月16日まで台湾各地で起きた抗争であり市民虐殺劇である。1992年台湾政府は「ニニ八研究報告」を通じてこの事件で約1万8千~2万8千人が死亡したと明らかにした。ニニ八直前、台湾社会は国民党のエリートたちと外省人(蒋介石を主軸に中国本土から渡ってきた中国人)に偏った統治、不正腐敗、本省人(台湾生まれ)に対する差別など尖鋭な葛藤を抱いており、経済的にもインフレと失業率上昇で苦しんでいた。この研究報告では「日本から解放直後、台湾人が持っていた祖国に対する期待はまもなく失望と軽蔑に変わった」と明らかにした。
蒋介石の「終身戒厳令」
1949年5月、「国富」蒋介石総統は戒厳令を発動し、1975年に彼が亡くなった後も戒厳令は引き続き、台湾では何と40年間集会·表現の自由が抑圧された。長い間抑えられてきた台湾民衆が抗争の扉を開いたのは、1979年に当局の集会禁止通知にもかかわらず、高雄で大規模デモを開催してからだ。主導者たちは「反乱疑惑」で起訴されたが、それはより大きな抗争の導火線となった。彼らは今日の執権党である民主進歩党(民進党)の主軸となり2000年3月、ついに政権交代を果たす。
韓国の歴史教科書など公式文書では「軍部独裁を終息させ民主化を成し遂げた」という表現がよくみられる。しかし、民主化以後、韓国社会で平凡な人々は新自由主義のリストラの波に直面し、両極化(格差)は深化しつつある。1987年の労働者大闘争を基点に強化された労働権は1997年のアジア通貨危機以来下り坂をたどった。現在、大多数の労働者は長時間労働と住居貧困などに苦しめられている。これで民主主義を成し遂げたと言えるだろうか?
台湾社会も変わらない。ニニ八事件の真相究明を要求する台湾市民団体「民間真相究明および和解促進会」は過去独裁政権の抑圧とこれによる社会分裂を治癒するために被害者補償と加害者に対する法的·倫理的評価、政治的迫害の真実を究明し知らせる活動が必要だと話す。
独裁清算と「広範な民主主義」は単なんる政策で行われるものではない。その社会が方向性を失う瞬間、現実での歪曲は予期せぬ場所で発生する。蔣万安はこのような矛盾を表す象徴的人物だ。この「独裁者」の曾孫は2015年に立法会(国会)議員に当選し華麗な政界デビューを果たした。その頃は民進党所属の蔡英文が初の女性総統に当選し、期待と注目を集めた時でもあった。蔡総統は同性結婚法制化と脱原発政策など進歩的な歩みを見せたが、労働政策では方向性や一貫性に欠けていた。
2016年12月に改正した労働基準法は週5日勤務、休日勤労手当ての引き上げ、交代制労働者の11時間休息保障などを明文化している。しかし民進党が労働界と経営界の両側に支持を得ていない状況で資本家団体は「原価上昇と交代勤務の困難」を招くとの理由で再改正することを要求した。反面、労働組合と青年たちはこの法がまともに執行されていないことを批判した。その年の夏、青年団体は 青年労働者の33%が平日超過勤務手当てを全く受け取れず、7%だけが規定通りの週休手当てを受け取っているという調査結果を出した。年休を使ったことがある労働者は全体の3分の1にも及ばなかった。
2017年10月30日、蔡英文政府は資本家の圧力に屈して再改正案を出した。今回は週5日制の後退、勤労時間上限の延長、交代勤務間隔調整(縮小)など「弾力的勤労時間制」を目的とした。現場では労働者たちは社長の延長勤労要求を断ることができないため、12日間休まず仕事をしなければならない状況も予想された。よって労働組合はこの再改正案が深刻な過労死の危険を大きくするだろうと批判した。
民進党に向けた怒り→ 蔣万安(しょう ばんあん)への声援
3週間後の2017年11月23日、民進党は論難が依然として残っているにもかかわらず改正案をむりやり可決しようとした。労組は法案可決を阻止するために会議場進入を試み、警察と大きく衝突した。当日夕方、蔣万安議員は立法会場で労働基準法再改正反対フィリバスターに出た。社会政策において民進党より保守的な国民党の政治家が労働権を後退させる法案に反対の旨を強く表明したのは異例のことだった。
すると、民主陣営で論争が起こった。一部の人々は民主化運動の結果として作った国会で虐殺者の子孫が「踊る姿」に怒りを爆発させた。そして再改正案通過を防ぐためにフィリバスターをする蔣万安に「がんばれ!」と叫んだ社会運動団体と労組をかえって非難した。
しかし、労働運 動家の絶叫は蔣万安に対する応援ではなかった。それは民進党が自ら招いた結果に対する怒りであり、労働権後退を防ぐためのもがきだった。台湾国際労働者協会の陳秀蓮活動家はフェイスブックでこのように反論した。「蔣万安が労働基準法改悪を阻止する声を叫ぶ舞台を作ってくれたのは誰ですか? 運動組織ではありません。民進党です。」
このような行動を通じて独裁者の子孫蔣万安の支持基盤は強固になった。昨年11月の地方選挙で 蔣万安は民進党の 陳時中を破り、42.29%を得票して台北市長に当選し、国民党の有力な次期大統領選候補になった。
民進党が執権直後から労働時間柔軟化を強行した姿は労働界と青年層の失望を呼び起こし、究極的には2022年の地方選挙の惨敗を招いた。労働運動家たちが叫んだように蔣万安を舞台に呼んだのは民進党自身だった。
台湾政治の皮肉な状況は妙な既視感を呼び起こす。誰が尹錫悦大統領を政治舞台に招いたのか。ろうそくデモの時の約束を見捨て、一方的人事任命と一部の不動産投機など我田引水と言えるほど前執権党と変わらない姿を見せた結果ではないだろうか。民主化の成就を独占し、今日の課題を軽視した政治勢力に責任があるのではないか。そのような点で台湾民進党と韓国の巨大野党はとても似ていると言わざるを得ない。