ろうそく以後5年の後退、今後の社会運動は何をすべきか

ろうそく以後

前回の記事(2022年2月8日にアップロード)「2000年以後の進歩政党と社会運動の選挙対応」に続き、2016~2017年のろうそく抗争に対する運動陣営の議論と文在寅(ムンジェイン)政権5年間の社会運動および大統領選挙時期の動きを振り返り、今回の大統領選挙以後の社会運動がどんな道に進むべきかについて話したいと思う。ろうそく以後5年の時間を「左派運動の後退」と規定するには前進した部分も確かに存在する。例えば労働組合組織率が相当上昇し、一部の労働者闘争では有意義な勝利も収めた。それを経験した人たちの中で希望と自信を得た人も少なくないだろう。しかしながら私は、今ここで過誤に焦点を合わせ話しようとする。

朴槿恵(パククネ)政権時期の社会運動はセウォル号惨事、鉄道労組ストライキ、故白南基(ペクナムギ)農民虐殺原因究明闘争と2015年民衆総決起など大型懸案にぶつかり、街頭闘争を止めなかった。政権の頂上の「朴槿恵-チェスンシル-イジェヨンゲート」が暴露され始め、積もってきた怒りが一堂に結集し始めた。その結果、2016年11月朴槿恵退陣を叫ぶ広範囲なろうそくデモが爆発し、社会運動は一つの「緩い」戦線を形成した。

ろうそく抗争の発生原因に対する分析は多様だ。社会運動グループは概して、ろうそく抗争が韓国社会に蓄積されていた色々な「古い矛盾」が朴大統領が深く関与したゲートが暴露された時と相まって共に爆発したと見た。例えば社会進歩連帯は「財閥、格差拡大、公安統治、服従強要、平和脅威」をその5つの矛盾と見たが、このような診断は他の運動陣営ら内でも大同小異だった。当時、社会運動左派は「朴槿恵退陣」という単一要求案に財閥問題や格差問題を統合することで、ろうそくの要求を広げ急進化することを課題と認識した。

ろうそく直後、進歩学術界では、朴槿恵政権の暴政下で積もっていた怒りが、白南基農民の死亡(または梨花女子大デモ)をきっかけに、100万人の群衆が集まった「総決起」につながったとか、朴槿恵政権に対する不満の裏には民衆が直面している深刻な生活条件の悪化があったという解説が一般的だった。あるいは「(そのような分析は)なぜ『今』これほど広範なろうそく抗争が発生したのかが説明できない」とし、事実上「社会経済的原因よりは(社会経済的原因は依然として重要であるが)政権の醜悪な素顔に直面した大衆の怒りが圧倒的に強力な原因だった」という見方もあった。

政治エリートと資本家の憲政蹂躙事態が招いた大衆デモが、非常に成功的に朴槿恵を下野させたにもかかわらず、大統領選挙時の社会運動は一つの政治路線を合意することには至らなかった。ろうそく抗争に参加した市民たちは「朴槿恵退陣」というスローガンは賛同したが、その他の多様な争点に対してはスペクトルが広かった。また、代案勢力や代案社会に対する合意もかなり弱い状態だった。このため、憲法裁判所の下野決定後に行われた大統領選挙でも「ろうそく」に集まった多くの大衆は、民主党-文在寅という選択肢に満足した。数ヵ月にわたる数百万人規模の広場デモと大統領退陣という成就に比べれば、残念な結末だった。

もちろん進歩政党(民衆党、正義党)も候補を出し、正義党の沈相情(シムサンジョン)候補は「女性青年」への慰労、「性少数者人権」保障主張などで注目を集め、有意義な得票(約200万票、6.17%)を得ることに成功した。しかし、これは正義党の組織力を高めることまでは至らず、選挙後の党員数はあまり増えなかった。それは、党内で様々な社会的争点に対する単一の合意を集めることができない状態であるにもかかわらず下からの組織民主主義を強化させるのではなく、選挙制度での実利的成就に関心を傾けていたからである。

ろうそく以後に行われた2017年の大統領選挙で、市民社会運動と知識人集団ではろうそくに過度に大きな意味を付与する立場[i]とろうそくによる政権退陣をシニカルに評価する立場が現れた。前者の多くは文在寅政府と文在寅大統領を「ろうそく政府」、「ろうそく大統領」と躊躇なく称し、市民運動と政府の理念を同一視した。後者は選挙結果に失望感を抱き次の大戦まで5年を待った。無論この二つの立場だけではなく、ろうそく以後誕生した政権に市民社会運動の多様な要求を受け入れさせようとする人も多く存在した。社会運動と政権のずれはろうそくデモ当時民衆の政治路線が不明確であったため避けられないことだったが、やはり市民社会での失望感は大きくなるしかなかった。

社会運動は、期待したすべてが裏切られた時を予見して互いを組織すべきだったがそれを疎かにした。退陣ろうそくの一部では「市民の力で合憲的に権力を交代させ、その過程で主権者として市民の地位を再確立したということは大きな意味がある。これは1945年の解放以後、長く延ばされてきたいわゆる「民主主義革命」の遅れた完結点といえる」と振り返りながらも、「ところがこれが革命としての地位を持つためには進歩·保守を問わず民主共和国の価値を合意する大きいロードマップを作らなければならなかったが、それができなかった」と残念な気持ちを残したりもした。

一方、親民主党性向を公然と表したり、民主党を「私たち」の一部と見做したりする一部知識人は「憲法が守られていなかった国を憲法が守られる国に変えた」という理由でろうそくを革命と呼んで当然だと主張する。これに呼応するかのように、文在寅大統領は執権以後の政府を「ろうそく政府」と自任し、ろうそくデモ時に提起された一部の要求を「前政権の積弊を清算する」一環として成し遂げると明らかにした。⁻

しかし、果たして「ろうそく革命」であり「ろうそく大統領」だったのか。 ろうそく初期、民主党は街頭に出た市民の要求だった「朴槿恵退陣」スローガンに反対し、ろうそくから距離を置こうとして市民の批判を受けた経緯がある。当時、民主党はデモ規模が100万人を超え、毎週大規模なろうそく集会につながると、すぐに立場を変えたのである。文在寅政権で進歩(を自任した)知識人の話とは異なり「彼らのろうそく政府」は自分の公約もまともに守らなかった。労働公約は大分廃棄処分され、いわゆる改革イシューは「我田引水」論理でうやむやになった。文在寅大統領は民主主義が「ポピュリズム·極端主義·偽ニュースからの挑戦に直面している」と主張したが、ここにはいざ自己診断が抜けている。 なぜなら、民主党も国民の力とともにポピュリズムと極端主義の真っ先に立って久しいからだ。

政治学者フィリップ·シュメーター(Philippe C. Schmitter)によると、今日の世界の民主主義は技術官僚主義とポピュリズムの2傾向を見せている。 両者は密接な関係にあるが、技術官僚主義は専門知識を備えた少数(金融機関·最高裁·財務省など)に権力が集中する現象であり、これらの集団が権力を行使する。選出されていない少数が権力を掌握するため、「選挙のような民主主義の手続きはつまらないことのようになった」。 ポピュリズムは、このような専門家集団に裏切られた大衆の極端な選択だ。

文在寅政権5年

文在寅支持者を除けば、文在寅政権5年を成功と評価する人はいないだろう。文在寅政府5年間所得格差は多少減ったが、資産格差は大きく増加し、平凡な人々の暮らしは少しも良くならなかった。むしろ新型コロナウイルス感染症の発生後、私たちの生活は非常状態を経験している。いくつかの緊急支援金が配られたものの、建物主は全く損害を受けず零細自営業者のみが被害を甘受しているのだ。非正規労働者·青年·貧民など貧困層がより一層底に落ちる状況のなかで、人々は不動産投機またはコインブームに参加するかそのまま絶望するかである。文在寅大統領が約束した労働公約も殆ど守られなかった。

最近、西欧とラテンアメリカの多くの国々では、経済危機を起こしたため弱化された新自由主義が復活しようとする動きに対して、大衆的な反対運動が起きた。これは既存の反新自由主義運動と結合して戦線を形成した。一方、韓国民衆運動は固有の政治戦略を失ってしまった。反MB(李明博イミョンパク)·反朴槿恵(パククネ)戦線以後、民衆運動の「合意された」プロジェクトは存在しない。 反MBから反パククネ戦線が消えた文在寅政府時期、市民社会運動の一部は文在寅政府の守護ないし同行を通じた「改革の果実」を期待したが裏切られた。その失敗の象徴が2019年の選挙法改定とチョ·グク長官事態にそっくり現れており、今日私たちはその後果を見ている。

民主労総(全国民主労働組合総連盟)はろうそく抗争がある前に呼び水になった民衆総決起を主導したが、ろうそく抗争過程では集会を実務的に管理する役割に留まった。したがって闘争方向と戦術においては主導性を発揮できなかった。コンサート式の非暴力大衆デモを管掌し実務空白が生じないよう人的·物的力量を尽くしたことになるが、当時の状況を考慮するとそれが間違ったとは言えない。結果的に2016~2017年のろうそく抗争は相互融解できない政治的スペクトルが「朴槿恵退陣」という課題に一時的に結合したことになった。

したがって、社会運動革新を渇望する人々の困難はロウソクが持つ限界を明確に認識できなかったのではなく、準備されていない状況で民衆蜂起という情勢に逢わされたところにある。多少の期待を抱いて可能な限りろうそくデモに影響を与えようと努力するだけで、全体の流れを変えることは力不足だった。共通の政治的立場を持つことも、濃密な代案を出すこともできない状態では社会運動独自の声を上げることができなかった。これは運動内一部の過ちではなく、当時社会運動の力量とビジョンが不在だったこと、2008年以後市民社会運動の主流が「反MB戦線」に陥没していた事実に起因する。

社会運動は「大衆デモ」の主体としてのろうそくの成果を収穫する準備ができていたのか。ろうそくの実を収穫したのは誰か。社会運動は理念的·組織的に準備されていない状態だった。もちろん成果もあった。例えば民主労総はろうそく以後、労働組合組織化**を相当と量的成長を成し遂げたが、これは蓄積された戦略組織化事業の成果である。同時に労働運動は今、能力主義談論を巡る論争とこれによる内部葛藤の問題も抱えている。一方、正義党と緑の党など社会運動の左側でそのような目立った成果を得たところは少ないと見える。ろうそくの実を収穫したのは、理念と政策的には問題が多かったが、政治的影響力が圧倒的だった民主党とその連中だった。列をなして大統領府に入った政治屋たちがその実を独占した。

2016年以後、民主労総の組合員数は目立って増加した。政権初期、労働組合はろうそくデモを経験した大衆の自信が職場での労組組織化につながることを両目で確認した。過去に比べて特に非正規職·女性·青年が多い事業場でより目立っている。これは労働組合の組織化運動が成し遂げた結果だが、ろうそくで形成された大衆の自信も重要な要素だ。

同時に私たちは道路公社間接雇用労働者闘争、差別禁止法制定運動、重大災害企業処罰法制定のための市民社会の運動、それから2019年以後深刻な気候危機に対抗する多様な運動、LGツインタワー清掃労働者闘争、健康保険公団顧客センター相談士労働者闘争、宅配運転手のストライキ、障害者の移動権闘争など下からの闘争が続いているという点も注目しなければならない。大衆デモ前後の社会運動の多様性や頻度、主体性などはデモの成果を規定する重要な基準になる。つまりろうそくの成果を政治権力の成長のみで評価してはいけないのである。

2022年大統領選挙を向かい社会運動は以前の選挙より萎縮した態度をみせながらも以前と同様に自分の役割を黙々と随行している。95箇所の市民団体は「不平等を終える2022大統領選挙有権者ネットワーク」を通じて各党の大統領選挙候補政策を検証し、女性労働者会は「女性労働者が提示する議題」を提案した。参与連帯は数回にわたる「大統領選挙プリズム」討論会を通じて多様な観点で今の情勢を観察しようと努力するなかで、その他の小さな団体たちもこういう動きが大概活発である。しかし、多くの活動家は2000年以降、選挙時期ごとに行われてきた政策協約や検証などが選挙が終わった後ほぼ政策に繁栄されなかったことを指摘している。

民衆運動の失敗

2021年9月から労働者運動の一部では民衆予備選挙推進組合員署名運動本部を結成した。民主労総が率先し現場で民衆予備選挙への流れを作ろうと努力したが、組合員からこれといった呼応がないままで、各進歩政党は11月末になって辛うじて「民衆予備選挙」を議論することに合意した。しかし、この議論は各党内選挙の開始前に、選挙ルールに対する異見を狭められず失敗に終わった。

民衆予備選挙を準備するとき、下からの運動になれなかったため限界があったという批判はある程度妥当に思われる。民衆予備選挙運動本部も下からの運動の力を大事にしたので、10~11月の間、地域と現場を巡回しながら現場の主体に会って組織しようとしたが、一部の労働活動家の力量だけでは力不足だった。現場反応が熱くなかった理由は①民主労働党分裂以後ここ10年間民主労総内で「政治勢力化」に対する組合員教育が皆無だったため、いつのまにか「政治勢力化」自体が非常に不慣れな話に転落してしまったこと、②進歩政党間の古い葛藤と反目が解消されない状態で政派間葛藤が現場に転移された状況で一部活動家だけの努力では突破しづらい客観的条件が存在したことを挙げる。

労働者運動は民衆予備選挙推進の痛恨の失敗が一方のせいであるという一面的な評価をするより、なぜ下からの運動がうまく進まなかったのか痛ましく振り返らなければならない。これを改善するためには、選挙が終わると同時にいわゆる「労働者・民衆政治勢力化」への議論を稼動するべきである。それから組合員教育カリキュラムを再構成し、今の状況に合う組織イデオロギーとして更新しなければならない。組合という大衆組織がこのような努力を先行してこそ、政派間の葛藤構造も克服できる。

大統領野党候補尹錫悦(ユンソクヨル)と与党候補李在明(イジェミョン)は共にポピュリズム***政治要素と親資本-反労働観点を共有している。したがって、過去の市民社会運動あるいは批判的知識人のバウンダリーにいた個人やグループはすでに正当性を失ってしまい、もはや民衆運動の独自性を脅かすことはできない。来る大統領選挙で民衆運動・社会運動は正確な政治的指向を持った独自の候補を支持することができない状況に置かれている。選挙日になれば、我々はやむを得ず少数政党に属する左派候補3人のうち1人を選ぶが、それが持つ意味は現実的にそれほど大きくない。したがって、社会運動においてどの候補を選ぶかという問題は却って副次的だ。

** 2000年以降、韓国政治は「ポピュリズム」が談論と実践の二つの側面で全面化し、市民社会運動はそれにブレーキをかけたり、介入したり、転覆させたりするよりは、その影響を受動的に受け入れている。去る20年、「ポピュリズム」という用語は「大衆迎合主義」や「大衆扇動主義」のような否定的な意味で、保守言論が社会運動を攻撃する時、ろうそくのような政治現象に対する議論がなされる時に主に使われた。ベンジャミン・アルディティ(2007)は、ポピュリズムが時々民主主義の他者であるか、敵であるよりも民主主義の条件(あるいは症状)であると考える。したがって、陳泰源(チンテウォン、2013)は、「すべてのポピュリズムが望ましいわけではないが、それはしばらく大衆政治への参加意志の表現だと思う。しかし、これが左派ポピュリズムを無批判に擁護することにつながることは警戒する必要がある。

進歩政党運動を内部から変えていくためになにをすべきか。

第一に、進歩政党は社会運動の基盤があってこそ進歩政党自身の成長も可能だという原則を忘れてはいけない。したがって「党外の社会運動」を故意であろうとなかろうと動員の対象と考える傾向がないか反省的に評価しなければならない。社会運動の各議題と領域ごとに奮闘してきた団体は社会運動の独自性を自ら作ってきたため、制度圏政党は、それを同志的な姿勢で接し尊重することで連帯の土台を作るべきである。

統合進歩党分裂以後、進歩政党と社会運動の間隙が大きくなり認識の差が広がり、党外の活動家の間では進歩政党らが党外の各社会運動団体をせいぜい「政策下位パートナー」と思うのではないかという疑惑が広がっている。選挙時期ごとに起きる政党と団体間の異常な分業化が繰り返し蔓延するという批判も多い。それは進歩政党を含む社会運動全般がどのように共同経験を築きながら既得権政治に亀裂を形成するかという合意が存在しないからだ。その結果、進歩政党、特に正義党の相当数の活動家は「正義党を社会運動政党ではなく、大衆政党(あるいは支持者基盤の政党)に変えなければならない」という主張を躊躇なくしている。それと共に社会運動政党vs大衆政党という対立項を設定しそれに「アマチュアリズムvsプロフェッショナルリズム」ついには「運動圏 vs 大衆」という不条理な対立まで付ける。しかし、これは「社会運動」と「政治」を対立させ、政治を大衆から遠ざける逆効果を生むだけだ。

第二に、古い葛藤にとらわれたり上層部活動家や官僚だけの議論に閉じ込められず、党-党の討論、運動-運動の疎通を企画しなければならない。各自の基盤を充実させながら、組織民主主義を拡張しなければならない。2021年民主労総の主管下で続いた進歩5党協議を以後にも持続させていくことで共通の討論と論争を蓄積し、これを再び各党の党員と支持者に共有する文化を確立しなければならない。これが日常的なサイクルになってこそ累積した葛藤も少しずつ解消でき、同時に各政党の質的成長も図ることができる。さらに、選挙時期に迫り、どんぶり勘定式の上層部交渉だけを行う選挙連合の議論ではなく、どのような代案を作り、なぜ連帯と連合を推進しなければならないのかを大衆に説得しながら人を組織していく過程が必要とされる。

第三に、進歩政党は民主党と国民の力の2つの既得権政治勢力よりは断然強い分別力を備えるよう、最後まで最善を尽くさなければならない。李在明より少し進歩した代案と民主党より少し左側で立つ水準にとどまっては以前と違う社会を目指す政治的代案を提示することはできない。当面の支持率や投票率に一喜一憂するよりは、選挙日以降に繰り広げられる社会運動の未来、人民の現実、その現実の中で隠された無数の階級闘争に注目しなければならない。私たち代案勢力の選挙戦略と公約は単に支持率を高めるためのものではなく、選挙後の暮らしで代案を求める人々のための羅針盤の役割を果たすことである。

進歩政党の一部では、大統領選挙後、大なり小なり政界再編があり、それを通じて進歩政党の新しいモメンタムが確保できると期待する人もいる。しかし、これはあくまでも上層既得政治での動きであり、(根本的改革ではなく、)副次的な問題に過ぎない、相当浮雲に近い話である。一度崩れた社会運動が根も葉もない夢想で回復できるはずがない。

2022年大統領選挙

中長期的展望を模索し、より良い未来を準備しようとするすべての社会運動は、2022年の大統領選挙で「政権交代」や「民主vs. 反民主戦線」への専念を運動の政治的・組織的目標としてはならない。 その代わり、民主党と国民の力、どの勢力も選挙で有意義な勝利を得られないようにすることへ焦点を合わせるべきである。左派社会学者チャンソクジュンも「二人のうち誰が当選されても」、勝者は「両政党が支配する第6共和国の既成政治」であるため、「両党政治に対するすべての挑戦は正当だ」と両党へ投票しないことに賛同する。

同時に、これまで「道を開く会」で何度も議論してきたように、体制内に同化する傾向に対して強い警戒心を堅持しなければならない。大衆の視線で市民社会運動がリベラル政治勢力の下位パートナーに思われる瞬間、社会運動の運命は民主党の政治的逸機に左右されることになる。一例で民主党が執権した時、参与連帯など一部の市民団体の会員が大幅に減てしまったことがあった。社会運動が時々民主党の政策方向や民主党の行為を批判する時、インターネット上で殺到する「裏切り者」というレッテルは非常に不当だが、そのような心理が形成されることに社会運動が口実を与えたことはなかったのかを振り返ってみなければならない。

むろん、政党や候補との政策協約などで社会運動のアジェンダを表面化することも重要な戦術である。しかし政策協約が既存政党に一種の「外皮」や 「免罪符」として作用する場合も一度や二度ではない。したがって、政策協約などの戦術はあくまでも「基層組織化」を企画し、実践することが前提にならなくてはいけない。「基層組織」なしに結ぶ上層部間協約は何の強制力もないからだ。大衆(運動)組織化を土台に協約を維持してこそ政党への常時的な圧迫と統制、監視も可能になるのだ。社会運動は指向と内容を基に自分の大衆を確保して組織化し、疎遠になった大衆との出会いをより多く作るべきである。既成政党が社会運動団体を「ソース」として活用させないためには運動自ら勢力を伸ばす必要がある。全国障害者差別撤廃連帯の持続的なアスファルト闘争と日常で会う大衆への組織化、占拠座り込みなどイシュー闘争が政策協約につながり、これが再び組織化につながる全障連(全国障碍者差別撤廃連帯)の運動方式は数少ない「勢力化」の模範事例だ。2016年以後、いわゆる「YOUNGフェミニズム」が復興し、女性運動に新しい機会が訪れた。MeToo運動を含む反性暴力運動、ストーキング犯罪と不法撮影に対する糾弾、一般女性が追跡し暴露したネット性暴力の温床「n番部屋」等、デジタル性暴行反対運動など多様な運動があふれ出て多様なフェミニズム運動主体を形成した。それからTERFなど性少数者嫌悪問題と新自由主義論理を積極的に受け入れた(あるいは新自由主義イデオロギーに捕獲された)流れも登場した。フェミニズム運動は依然として最近の社会運動の最前線にある同時に左派社会運動的急進化を進める議論と実践も課題として残っている。

あと10年

前回の記事と今回の記事を通じて、過去20年間の市民社会運動全般が「反保守戦線」に結集したり、あるいは親民主党傾向に政治的主導権が移されるなかで社会運動の限界も露呈したという点、進歩政党運動の独自理念の成立と社会運動との連結の不在が今日の進歩政党の危機と共に明らかになっているという点を認識した。この危機は、今回の大統領選挙で左派候補(民主党まで「左派」に縛る詭弁は論外とする)の得票率が合計5%を超えようがまいが、全面的な自己反省と改善の過程がなければ解消されない。我々には共通のビジョンがなく、共通の分析が足りず、討論や論争も不十分だったのである。

今後10年間、社会運動勢力は資本主義体制を変革するための理念的で情勢的実践を全面化しなければならない。資本主義は歴史のなかで植民主義や国家管理主義、新自由主義などを通じて危機を暫定的に乗り越えてきた。しかし周知のようにこれからの危機は地球生態系全体への脅威として、以前とは異なる「実に深刻な危機」と見なされる。したがって、今日の社会運動は資本主義搾取に対抗する生態社会主義を志向しなければならない。現資本主義体制の生態的矛盾が経済、政治、社会矛盾と絡み合っており、それらを分離して解決することができないからだ。

労働権を擁護し拡張する運動と貧困に立ち向かう都市貧民の運動、ケアの価値を再評価し公共の責任へと拡大させる運動、移住民に対する差別と排除に対抗して戦う運動、権威主義と人種主義的抑圧に対抗する運動はすべて互いに連帯しなければならない。社会運動が反資本主義+生態社会主義の展望を持って中長期的目標を共に立て、各自の場で奮闘し、また度々結集してその時の情勢に合わせ共同課題を設定しながら共に進まなければならない。

社会運動は政治形式を再発掘、発明、組織することで、「大衆」と「社会」が自ら政治的能力を獲得できるように推進しなければならない。これを通じて新自由市場主義が作った「脱政治化」状態を克服しなければならない。社会運動が自分の力を強化し、その土台の上でこそ政治運動も発展できる。 それは決して社会運動が進歩政党運動に優先するという意味ではなく運動別に優先順位があると言うのでもない。民衆運動が共に独自性を堅持しながら政治的成就を成し遂げるために、社会運動が根幹になるべきであることを強調したいのだ。このような基調で社会運動が共に膝を突き合わせて話す主題は、あと5年、10年を予備する戦いのことである。その戦いは今から始めなければならない。共同の目標を設定し、具体化させ、強いネットワークを作り、ともに目標に向かって進まなければならない。

もぐらの旅程

先日、大統領選挙に関する討論会で、あるパネルは「今は光が見えないが、暗闇の中でも地面を掘る(マルクスが『ルイ·ボナパルトのブリュメール18日』で言及した)『モグラ』の努力を続けなければならない」と述べたが、これは社会運動の姿勢を語るのに適切だ。彼は「地中から出てきてすぐ再び入り込んでも、中断せず続くモグラの努力が必要だ」とし、「主流政治は退行的だが、希望を作る流れに注目しなければならない。少しでも進歩的なアジェンダと抑圧される人々のための平等と連帯の政治を実現するためのすべての試みが議論されなければならず、つまらない試みさえ長期的にはモグラの労働と認められる」と主張した。

どんな「モグラ」であるべきだろう? 有意義な政治勢力化はどのように可能であり、どのような姿だろうか。 議論の活性化に向けて、いくつかのアイデアを提示したい。 第一に、共同の歩みは共同の認識の中で可能だ。一つ一つ大きな枠組みの情勢展望を共に導き出し議論する構造を作らなければならない。いわゆる「情勢展望」を提示して久しい社会運動が、主流政治及び支配階級に対応する自身の展望を構築し、運動内部組織らが共に認識してこそ各自で、それから共に進むことができる。10年間の「モグラ」の過程で社会運動の質的·量的成長を遂げれば、その後は何をすべきか。私たちは続けて社会変革運動に対する志向を失わずに、現実の矛盾を解消していく戦いを止めてはならない。

第二に、新しい活動主体を養成し組織することに注力しなければならない。どの労働組合や社会運動団体からも人材難に苦しむ事例があふれ出ている。学生運動が消滅していく状況で過去のような形態の「準備された活動家」は今や存在しない。このような現実を冷静に認め、新しい活動家を養成するための制度的で実験的な努力を尽くさなければならない。例えば2021年民主労総と二大産別労組が用意した、新規青年活動家教育示範過程である「民主労総を知らせる」を含んだ多様な青年活動家プログラム、米国Justice DemocratsのMovement Schoolなどは新しい方法模索としての良い例である。

第三に、このような質的成長とともに「勢力拡張」のため全面的に生まれ変わるべきである。先の問題意識に賛同し、体制変革を目指す多様な社会運動団体と個人が共に大衆組織化を図る過程が必要だ。社会変化を成し遂げるためには、変化の大きさに比例した組織を作らなければならないからだ。既得権勢力に吸収されず、独自性を堅持する社会運動が価値と理念を共有した上で一緒に5万、10万を組織する過程はそれ自体が大衆運動の一過程だ。そうしてこそ、日常でも選挙時でも社会運動が政治勢力の「下位パートナー」に留まらず、支配政治勢力に向かい戦術と戦略を多様化して対抗していくことができる。

より多くの同僚を組織することの重要性は労働組合や政党ごとく大衆組織や政治組織に限られる問題ではない。どの社会運動であれ「組織化」という問題に真剣にそして具体的に取り組まなければならない。政治勢力化はだれでなく私たち(社会運動自身)の役割だ。「ビジョンを描く」モグラの旅程があってこそ反資本主義+生態社会主義の道を説得力ある言語として大衆に提示することができるのである。

著: ホンミョンギョ(活動家)

[i] 例えば彼らが書いた「ロウソクの記録」では、退陣を叫ぶろうそくは民主主義の歴史に新しい章を開き、社会大改革に進む市民革命の過程であったと評価する。

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